Joyce and her son 2011
2015年10月21日、この日は"Back to the Future"でドクが未来に来た日!
ポケットを出して歩かなきゃいけません。笑
あの映画を見たころは2015年なんて現実味なかったけど、あっという間に来た未来。
当時こんなにも普及するとは想像もしなかったインターネットや携帯、PC、スマホなどのテクノロジーが爆発的に発達し「便利」という名のもとに人から知恵と人間力を奪い、僕が一番期待していた空飛ぶスケボーは未だ市販されず、、。(レクサスが作り始めてますが)
あまりオヤジっぽいこと言いたくないけど、携帯以前の時代は友達と集まるときちんと対話してお互いが向き合ってた。今は誰かと一緒にいても、リアルな人間が目の前にいるのにひたすらスマホでそこにいない人たちと希薄に「繋がる」ために「いいね!」とかしてる人が増えましたね。
スマホ以前の時代は、なにか超すげー!的なことがあったらそれを言葉でなんとか描写して伝えよう、その言葉から想像しようという話し手にも受け手にもあった当たり前の過程がいまは「ほらこれ!」ってスマホの画面を見せるだけ。これだけでも表現力と想像力を使う場がかなり減ったと思う。
Back to the future時代の映画たちには最近の映画にはないワクワク感が満載だった。
いい意味で荒削りなところや余白みたいなものがあって、そこを受け手が自由に想像して楽しむスペースがあった。今はCGとか忙しいカット割ですべてを説明しきってるものが多いですね。余白を自分のイマジネーションで埋めたり行間を読むことのできない世代に向けてるのでしょうがないのでしょうが。そう「しょうがない」、いい/悪いじゃなくて進化なので。
ただ僕は、周りがどんなに進化しても自分に必要な進化かどうか吟味してから自分の中に取り入れたい。自分の中の器の大きさは決まっていて、そこになにか「便利」なものをいれるとそこにあった「その便利なものがなくてもなんとかできた知恵」が溢れ出てなくなってしまうから。桶に入ってる水の中になにか入れるとそこの水が溢れてしまうようなイメージ。
決して進化や技術を否定してるわけではなく、(むしろApple製品とか大好きですから)自分の生活にそれを取り入れることにより溢れ出てしまう「桶の水」がなんなのかを考えてからじゃないと気がついたら便利なモノばかりで元々持っていた知恵とか人間力がなくなっちゃうよってこと。Fight clubでタイラーダーデンがThings you own end up owning youって言ってた通り。
自分にとって何が必要でなにが不要かって考える、このワンクッションがすごく大切だと思う。この明確な指針があるおかげで我が家は毎日幸せ度高いです。いらんものに左右されないから。シンプルが一番!
そんなわけで明日からまたパプアニューギニアのジャングルの中にいってきます。
どんなわけだよ!?って突っ込みたい人もいるでしょうがほんとにそんなわけなんです。
Vanessa 2011
当時子供だったヴァネッサもいつの間にか大人になってます。
この村の人達はいつもこんな笑顔で迎えてくれる。もう今は「おかえり!」「ただいま!」になりました。