2012-04-17

Molokai-Oahu

at Molokai downtown  f8 1/360 LeicaM8 iso160

モロカイ島のアラモアナショッピングセンター。ほんとに。
ダウンタウンの中心街は50mほどで終わり。椰子の木より高い建物はし。オアフの隣にあるのに未だに原風景がたくさん残っている島。
そんな時間の止まったような島からオアフへくると未来へタイムスリップした様です。
きのうの朝5時にモロカイ島で起きて汰久治選手と一緒に海峡をわたったのが既に遠い昔に感じます。汰久治さんや他のクルーはきのうからカイルアに泊ってますが、僕だけ他にも撮影したい場所がありいろんな所にアクセスがしやすいワイキキに滞在しちゃってます。

朝は、早く起きてカイルアのほうにいって、ラニカイジュースとカラパワイのサンドイッチとフレーバーコーヒーという僕の大好きなコンビネーションをゆっくりと食べれました。

「こうへい君ライフガードに救出される」
その後みんなとサンディービーチで合流。風もカレントも強く、波もけっこう強いショアブレイクだったので入るのどうしようかなーって海を見てました。
そこでなんとアクシデントが。ふと海を見るといつの間にかボディーボードで海に入っていたMr都会人のこうへい君がカレントで横にながされあっという間に、危険な岩場地帯の一歩手前まで行っちゃってます。ライフガードタワーの方を振り返ってライフガードの人と目が合うと、向こうも既に気がついているらしくて駆け寄ってきました。
そして、「お前のあの友達はちゃんと泳げるのか?」と聞かれ「そうでもない」と答えた瞬間ライフガードが飛ぶように海にはいってあっという間に救出。
助けられた当の本人は溺れてたわけでもないので、きょとんとしてました。あと少しで脱出が難しい岩場に海流で流され岩場に何回も波で叩き付けられるのがわからなかったからでしょう。危険な状況を把握していないというのが一番危険ですね。ライフガードの方感謝です。Goproで救出劇を撮れなかったのが残念でした。
日本の元トップライフガードでもある汰久治さんはちなみにそのときは他の場所にいました。さらになんと、そのライフガードが救出後こうへい君にわたした海の危険についてのパンフレットはむかーし汰久治さんが日本語訳などで作るのを手伝ったパンフレットでした。
汰久治さん、そのパンフレットみて「これ俺が昔つくったやつだー!」って爆笑してました。
みなさんも海に入る前には必ず海を観察しましょう。
東京にかえったらこうへい君をみっちりトレーニングでしごいて体力/泳力をつけさせようかな。



そのあとは場所を穏やかなコックローチベイに変えてみんなでちっちゃな波でわいわい波乗りしたあと、汰久治さんの友人のジェイソンが4人のりカヌーを持ってくるということでまたカイルアへ。僕は友人の子供をボードの先に載せて一緒にサーフィンして遊んでました。子供をノーズに載せてると、前のほうに重心がいって意外とテイクオフしやすいかも。新たな発見。
昔は子供がすごく苦手だったのが3年前パプアニューギニアに行って村の子供たちと遊んでいるうちに大丈夫になりました。子供ができたら小さいうちから海と山で遊ばせて、ちゃんと走れて泳げて日曜大工がきちんとできる強い子にしたいな。役にたたない学校の勉強とかできなくてもいいから。
パプアニューギニアのジャングルの中の村に1〜5歳まで「人間力」の英才教育で預けたい。本気で。そんなこともあって汰久治さんの海人丸道場に共感してるのです。

on the way back from Kailua to waikiki

今回直前になって、合流することになったマウイ島在住のひでさんが今日マウイに帰るっていうことで空港まで送っていきました。マウイ島で写真を撮りながら家族と一緒にすんでいるひでさんはなんとグリーンカードの抽選に当たって移住したそうです。
汰久治さんのことをフェイスブックで知り、コンタクトを取って伴走船に単身乗り込んできたすごい人です。しかもなんと僕の出身の野幌にも一時期すんでいたというからびっくり。野幌からモロカイ。すげー。
今回の旅でもいろんな人に出会え、またそこからいろいろと広がりそうです。
メルとドナが教えてくれたモロカイレースよりも簡単な(って言ってもモロカイレースより簡単っていうだけですごくハードだと思う)マウイーモロカイレースもあるらしいので、出てみたいな。と思いました。oc1でもoc2でもSUPでもなんでもありらしいので。
マウイに行ってひでさんの家に何日かゆっくり滞在してからレース。
またやりたい事が増えました。
そんなんで、朝から晩まで遊び倒した一日でした。